【徳川幕府がヒゲ禁止令!?】どうしてそうなった?江戸時代の四代目将軍・徳川家綱による大髭禁止令とは(歴史)

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日本ではかつて、「ヒゲ禁止」の時代があった

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今でこそファッションとしても大変人気のあるヒゲですが、日本ではその昔、ヒゲが政府によって禁止されていた時代があったのです。

それは戦国時代が終わり、天下泰平となった為にその存在理由を失いかけていた武士などが、”かぶき者”として江戸の世を荒らし始め治安が乱れたことが発端となり、それらを取り締まる一環として当時の江戸幕府から発令されたものでした。

それではもう少しこの件について掘り下げてみましょう。

 

どうしてそうなった?経緯など

Em7 / Shutterstock.com

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時は1670年(寛文十年)、四代将軍・家綱の時代にヒゲを禁止した「大髭禁止令」が出るに至るまでには当時の江戸の様子と深く関わる、興味深い時代背景がありました。

まず、徳川幕府初期までは、男性の象徴である古来からの伝統の口髭・顎鬚には寛容でした。ところが、徳川家が大坂の役で豊臣家を滅ぼした「元和偃武(げんなえんぶ/戦いをやめ平和の到来)」以降は戦乱がなくなって平和な時代が訪れます。当然ながら、軍人としての武官の仕事がなくなり、事実上無役となった旗本・御家人などが増えることになります。

その不満のはけ口として、旗本・御家人の”無頼・かぶきもの(※①)行為”が街中で横行し、侠客まがいの「博打」や「辻斬り(※②)」など、江戸の治安が非常に乱れてしまったのです。
※①かぶきもの(傾ぶき者)……常識外れ。アウトローのこと。
※②辻斬り(つじぎり)……武士が刀の切れ味を試し,また武術を磨くために,夜間,路上で行きずりの人を斬ったこと。 また,斬る人。

1623年(元和九年)に第一の禁令が発令

当時の将軍が髭嫌いだったという説も有りますが、そのいわゆる”不良”な旗本・御家人の取り締まりの一環として次のような禁令が発令されたようです。

元和九年(1623)四月廿六日 又令せらるゝは、大額大なで付、大剃さげ、又は下鬚、幷大刀、大脇差、朱鞘、大鐔、大角鐔停禁せらる。もし違犯のものは繋獄せしめ、其主よりは過料銀二枚出さしむべしとなり。(『台徳院殿御実紀巻五十九』)

台徳院殿御実紀巻五十九には、「もし違犯のものは繋獄せしめ、其主よりは過料銀二枚出さしむべしとなり。」という記載がありますが、ここでいう過料とは、日本において金銭を徴収する制裁の一つ、いわゆる罰金ですね。そして銀二枚というのは、江戸前期・中期当時は銀1枚=43匁(もんめ)とされており、銀1匁は当時の貨幣価値として大体1700~2000円と推測されるため、そこから逆算すると罰金として146,200~172,000円が徴収されたということになります。

 

1645年(正保二年)に第二の禁令が発令

正保二年(1645)七月十八日 此日命ぜらるゝは。刀は二尺九寸。脇差は壱尺八寸を限とすべし。大鍔。大角鍔。朱又黄の鞘。又大撫附。大額。大そりさげ。大髯。さきざき停禁せられしかど。頃日いさゝかみゆれば。再び触示さるゝとなり。(『大猷院殿御実紀巻六十一』)

第二の禁令で大髯という言葉が登場しますが、この時点ではまだ前述の「かぶきもの」等の異様な風俗行動を禁止したものであって、ヒゲ一般を厳禁としたものではありません。

 

1670年(寛文十年)に大髭を禁止した「大髭禁止令」が発令

しかし周囲を威嚇する風体の無役旗本・御家人の無頼所業は納まらず、四代将軍・家綱の時代、1670年(寛文十年)に幕府が大髭を禁止した「大髭禁止令」が出るに至ります。

幕府が大ひげを禁止したのは寛文十年(1670)のことであった。四代将軍家綱の時代である。

大ひげというのは頬ならびに口の上下にひげを長く生やすことをさしたらしく、文字通り貴賤上下をおしなべて厳しくこれを禁じた。しかし顎の先にひげを生やすことだけは比較的大目に見られていたものか、医者・山伏・神官・人相見などには往々にして顎鬚をたくわえる者があったようである。(『時代風俗考証事典』)

この前の禁令の時から大髯という言葉が登場していますが、大髭と言うのは、「頬ならびに口の上下に髭を長く生やす事を指した」とされ、身分に関係なく厳しくこれを禁じたようです。

そして藩医などの禄を得る医者と山伏・神官・人相見などと、還暦を過ぎた隠居老人を除いては、厳禁とされました。特に武家に関しては厳格でこれ以降、額の月代(※③)と口髭・顎鬚をツルツルに剃る事が正装とされ、幕末の志士の間で月代を崩す髪型が流行るまでは概ね守られたようです。更に大名に関してはさらに厳格で、この「大髭禁止令」以降の大名で江戸時代にヒゲの生えた肖像画が残っているのは、第十五代の将軍・徳川慶喜の実父・徳川斉昭(とくがわなりあき)だけのようです。
結局のところ、戦闘要員の必要性が減って行政官の時代に変わったその象徴が、この「大髭禁止令(おおひげきんしれい)」と言う事になるのかもしれませんね。

さぞかしこの時代の方たちは、カミソリ負けに苦しんでいたことでしょう。あ、この時代はカミソリもありませんよね。もしかして短刀?……怖!

※③月代とは……額から頭頂部にかけて剃った髪型。戦に際して兜を被りやすくする(頭皮が蒸れるのを防ぐ)ための工夫。

ライター: Dj Gorilla

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